「わたしだって、パパが死んじゃって悲しいよ……。でも……っ、ママが先に泣いちゃうからわたしが泣くわけにいかないじゃない……。ママはずるいよ。悲しいのはわたしだっておんなじなのに……っ」 彼はその間ずっと、優しく背中をさすり続けてくれていた。わたしには兄弟がいないから、兄がいたらちょうどこんな感じなのかなとも思い、ホッと心が安らいでいった。 でも、彼はわたしにとって兄のような人ではなく、好きな人。初めて好きになった人。だから、この安らぎはきっと兄弟によってもたらされるものではなく、もっと別の……。「――絢乃さん、少し落ち着かれました? そろそろ顔を上げませんか?」「…………やだ。だってわたしの今の顔、多分すごくブスだから」 お葬式の日だからもちろんノーメイクだったけれど、思いっきり泣いた後だからきっと顔がグチャグチャで、そんなブス顔を彼に見られるくらいなら死んだ方がマシだと思った。「そんなことないですよ。大切な人を思って流された涙はキレイだと僕は思います」「え……?」「ほら、全然ブスなんかじゃないです。泣いた後の絢乃さんも十分キレイですよ。だって僕、あなたの泣き顔は前にも見ていますから」「ああ……、そういえばそうだった」 父の余命宣告を受けた日にも、わたしは彼のクルマの助手席で泣いていたのだ。「――さて、心がスッキリしたら喉渇いたんじゃないですか? 何か飲まれます?」「あー、うん。じゃあカフェオレ。あったかい方がいいな」「分かりました」 彼はホットのカフェオレ缶と、彼自身が飲むと思われる微糖の缶コーヒーを買ってすぐに戻ってきた。「――絢乃、もう落ち着いた?」 二人で缶コーヒーをすすっていると、母もロビーにやってきた。「うん、もう大丈夫……と言いたいところだけど、わたしママにもちょっと怒ってるの」「……え?」「パパが死んだとき、わたしだって悲しかった。なのにママが先に泣いちゃうから、泣けなくなっちゃったんだよ!」 わたしは「怒っている」と言いながら、言っているうちにまた涙がこぼれてきた。 貢はわたしの言うに任せて、止めなかった。ちゃんと言いたいことは言うべきだと、わたしに伝えたかったんだと思う。「ごめんね、絢乃。気づいてあげられなくて。だからもう泣かないで」「うん……。ママ、わたし決めたよ。もう言いたいこと我慢するのはやめる
「ところでママ、話し合いはどうなったの?」 やっと泣き止んだところで、わたしはもっとも気になることを母に訊ねた。母ひとりがロビーに出てきたということからして、円満に終ったとはどうしても思えなかった。「結局、あれからこじれにこじれてねぇ……。あなたの会長就任は、明後日に開かれる臨時株主総会まで持ち越しになったわ」「そっか……。でも、株主さんたちで賛成の人が多かったらあの人たちも文句は言えないってことだよね」 株主総会での決議は多数決で行われるらしい。ということは、わたしが新会長に就任することを過半数の人が賛成してくれれば、わたしは正式に父の後継者として認められるということなのだ。「そうね。でもあの人たち、特に宏司(ひろし)さんがね、兼孝(かねたか)叔父(おじ)さまを対立候補に立てるって言いだしたのよ。『あんな小娘にグループを任せるくらいなら、親父が会長になった方がよっぽどいい』って」「……ふーん? 何考えてるんだろ、あの人」 ここで名前が挙がった「宏司さん」というのは亡き祖父の甥(おい)、大叔父の兼孝は祖父のすぐ下の弟にあたる人で、父が会長になることに反対していたのも主にこの宏司さんだった。 大叔父は当時の年齢で六十代後半だったけれど、それまで経営に直接関わったことのない素人、という意味ではわたしと立場が変わらなかった。それなのに会長候補に擁立されたのは、宏司さんが年功序列・男尊女卑という古臭い考えに固執しているからに他ならなかった。「今の時代、そんな考え方ナンセンスよね。というわけで、今日の話し合いは見事に決裂。あの人たちはみんな先に帰っちゃいました」「…………なるほど」 どうせお骨上げの時、あの人たちに用はないのだ。それならさっさとお帰り頂いた方がわたしと母、そして貢の精神安定のためにもいい。「桐島くん、ありがとね。あなたの機転のおかげで、絢乃があれ以上傷付かずに済んだわ」「いえいえ。秘書として、あの状況ではああするのが最善だと思いましたので」「うん、ホントにありがと。わたし自身、あれ以上あそこにいたら自分がどうなっちゃうか分かんなくて怖かったもん。連れ出してもらえてよかった」 泣くだけならまだいいけれど、もし怒りが爆発してしまったら人として言ってはいけないことまで口走ってしまう恐れもあったのだ。最悪の事態を未然に防いでくれた貢には
――それから一時間ほど後。わたしたち親子だけでお骨上げをして、ロビーで待っていてくれた貢のレクサスで家まで送ってもらうことになった。「井上の伯父さまも、今日のお葬式に来たかっただろうなぁ。お悔やみのメールはもらったけど」 実の弟を亡くした伯父は、さぞ残念だっただろう。できることなら帰国して、一緒にお骨上げもしたかっただろうと思った。でも急なことだったので飛行機のチケットが取れず、泣く泣く帰国を断念したそうだ。「そうねぇ。残念だけど、こればっかりは仕方ないわよ。今ごろ、海の向こうで別れを惜しんでいるでしょうね」「うん……」 小さな骨壺(こつつぼ)を抱え、後部座席で残念そうに肩をすくめた母に、父の遺影を膝の上で抱えたわたしは頷くしかなかった。でも、父と兄弟仲のよかった伯父のことだからきっと、休暇を取って帰国し、ウチに立ち寄って手を合わせに来てくれるだろう。「――ねえママ、これからのことで、ちょっと相談があるの。桐島さんにも聞いてもらいたいんだけど」 わたしは二人に、自分の中で温めていた新たな決意を話しておこうと思い立った。「なぁに?」「僕は運転中ですけど、ちゃんと耳だけは傾けているので大丈夫ですよ。おっしゃって下さい」 彼はハンドルを握りながらも、わたしの話はちゃんと聞いていますよという感じで、わたしに話の続きを促した。「うん、じゃあ言うね。――わたし、高校生と会長兼CEOの二刀流でいこうと思ってるの。どっちも頑張りたいから、二人にもぜひ協力してもらいたくて」「分かったわ。絢乃が自分で決めたことなら、喜んで協力させてもらいましょう。で、具体的には何をしたらいいの?」「まず、ママにはわたしの会長としての業務を代行してほしいの。学校に行ってる間、会長がいないことになっちゃうでしょ? 宏司さんは多分、鬼の首でも取ったみたいにそこを非難してくると思うから、その予防線ね」「なるほど。あの人も当主である私には偉そうに言えないものね。いいわよ」「ありがと、ママ。――で、桐島さんにはわたしだけじゃなくて、ママの仕事もサポートしてあげてほしいの。二人分の秘書の仕事をやることになるけど大丈夫?」「大丈夫です。お任せください。総務でこき使われていたことを思えば、それくらい何でもないですよ」 二人から秘書として頼られることは、ものすごく大変なことだと思うけ
「ごめんね、桐島さん。貴方には苦労かけちゃうと思うけど、よろしくお願いします」「ごめんついでに、私からもひとつお願いがあるのよ。絢乃は八王子の学校から、丸ノ内のオフィスまで通うことになって大変だと思うの。だから、秘書の業務としてこの子の送迎もお願いできないかしら?」「かしこまりました。お引き受けしましょう」「ありがとう、桐島くん。無理を言っちゃってごめんなさいね」「えっ、いいの? ありがたいけど……なんか申し訳ないな」「いえいえ、絢乃さん。ボスに気持ちよく出社して頂き、快適にお仕事に励んで頂くのが秘書の務めですから。……というのは小川先輩の請け売りですが」 彼がボソッと最後に付け足した一言で、わたしは吹き出してしまった。「なぁんだ、そうなの? 小川さん、そんなこと言ってたんだ」「……今日、やっとあなたの笑顔が見られましたね、絢乃さん」「…………え?」 ポカンとしてルームミラーを見上げると、そこには穏やかな笑顔の貢が映っていた。「やっぱりあなたは、笑っている方が魅力的です。僕も、絢乃さんがいつも笑顔でいられるように秘書として頑張りますね」「あ…………、うん。ありがと。よろしく」 彼の言葉で頬を真っ赤に染めるわたしを、母は隣でニコニコ笑いながら眺めていた。 ――貢はわたしたち親子を、きちんと自由が丘の篠沢邸の前まで送り届けてくれた。「桐島くん、今日はお疲れさま。明日も出勤でしょう? 家に帰ったらゆっくり休むのよ。お清めの塩も忘れないようにね」「はい。加奈子さん、絢乃さん。これから何かと忙しくなりますが、三人で頑張っていきましょう」「うん。今日はホントにありがと」 二日後の株主総会は、土曜日だし寺田さんが送り迎えしてくれるので彼の送迎は不要だと伝えた。「――桐島さん。今日から貴方を正式に、会長秘書に任命します。正式な辞令ではないけど、心して受けるように」「はい。謹んで拝命致します」 早くもわたしと彼との間に主従関係が生まれ、こうしてわたし・篠沢絢乃の二刀流生活が始まろうとしていたのだった。
――その二日後、臨時株主総会で新会長を決める決選投票が行われ、わたしは大叔父に大差をつけて無事会長就任が決まった。「――桐島さん! わたし、新会長に決まったよ」『本当ですか? おめでとうございます! では、僕の会長秘書拝命も無事に決まったということですね』 帰りのクルマの中で貢に電話をかけると、彼はわたしの会長就任を心から喜んでくれた。「うん。明後日にも人事部から正式な辞令が下りると思う。というわけで改めて、これからよろしくお願いします」 わたしはそこから自分が行ったスピーチの内容や、社長であり本部の役員でもある村上さんの応援演説がいかに素晴らしかったかを彼に話した。そして、株主総会前の二日間で練りに練った、本社幹部の人事についても。 社長は村上さん留任で、常務は秘書室長の広田(ひろた)妙子(たえこ)さん、専務は人事部長の山崎(やまざき)修(おさむ)さんがそれぞれ兼任してもらうことにした。三人とも父のよき理解者で、協力者でもあった人たちで、わたしにとっても強い味方になってくれることは間違いないと思ったのだ。『そうですか、社長が味方について下さったのは大きかったですね。村上社長は確か、お父さまの同期組でしたよね。営業部でいいライバルだったとか』「そうなの。彼を社長に任命したのもパパだったんだって。若い頃はどっちがママのハートを射止められるか争ってたらしいよ」『へぇ……、そんなことが』 電話口にそんな話をしていたら、隣に座っていた母に「その話はもう時効だから、あんまり続けないで」と苦笑いされた。『それはともかく、明後日は朝十時から就任会見が開かれるんですね。スピーチの原稿は用意しておいた方がよろしいですか?』 彼はさっそく秘書の業務として、そんな提案をしてくれた。わたし自身会見なんて初めてのことだったので、それはとてもありがたい提案だと思った。「そうだなぁ、わたしとしてはあった方が気持ち的に助かるけど。大まかな内容で作っておいてくれたら、あとは自分で考えて話すから」『かしこまりました。では、簡単な内容の原稿だけ、僕の方で作成しておきます』「ありがと。じゃあよろしく」 ――何はともあれ、母が会長代行、貢が秘書、そして強力な首脳陣という万全な体制で、この二日後にわたしのトップレディ生活は幕を開けることとなった。
* * * * ――そしてやって来た、会長・篠沢絢乃のお披露目の日。 その朝、わたしはある決意を胸に秘め、自室の洗面台の前に立った。 丁寧に泡立てた洗顔フォームで顔を洗い、自慢のロングヘアーをブラッシングして、ウォークインクローゼットに足を踏み入れた。「――よし!」 勇ましい気持ちで手にしたのは学校の制服である白いブラウスとブルーグレーのプリーツスカート、クリーム色のブレザーに赤いリボンの一式と、黒のハイソックス。制服姿で就任会見に臨むことで、〝女子高生と大財閥の会長〟の二刀流に挑むわたしの並々ならぬ決意を示すことにしていたのだ。 神聖な気持ちで身支度を整え、姿見に全身を映すと、同じ制服姿だけれど普段と違うわたしが見えた気がした。「――おはよう、絢乃。もう支度できてる?」 廊下から母の声がした。どうやら史子さんではなく、母自らわざわざ呼びに来たらしい。「は~い、もうバッチリだよ! 今行くね!」 わたしはウォークインクローゼットを出ると、大きな声で呼びかけに答えた。 通学用の黒いピーコートとスクールバッグを手に廊下へ出ると、グレーのパンツスーツ姿の母が軽く眉をひそめた。「あなた、その格好で会見をやるってことは……。何を言われても覚悟はできてるってことでいいのね?」 その言い方は、非難しているというよりむしろ母親としてわたしのことを心配しているようだった。「うん。わたしなら大丈夫だよ。後継者として指名された時から決めてたことだから」 わたしの覚悟の大きさを感じ取ったらしい母は、「分かった」と納得してくれた。「じゃあ、朝ゴハンにしましょう。九時ごろに桐島くんが迎えに来るから」「そうだね。彼も今日、本格的に秘書デビューだもんね。きっと張り切って迎えに来るよ」 彼の話になるたびに、わたしの表情はついつい緩んでしまう。やっぱりこれって、恋の魔力のせい……?「――それにしても、その潔(いさぎよ)すぎる性格といい、一度決めたら絶対に曲げない意志の強さといい。絢乃はホント、パパにそっくりだわ」「そうかなぁ? じゃあ、ママにそっくりなところってどこだと思う?」 わたしが首を傾げると、母は大まじめな顔で「顔かしらね」と答えた。 * * * * ――九時少し前。わたしと母が朝食を済ませ、優雅にコーヒー(わたしは父に似てコーヒー好き
「じゃあママ、行こっか」「ええ。――史子さん、行ってきます」 史子さんに「行ってらっしゃいませ」と笑顔で見送られながら、わたしたち親子は出陣したのだった。「――絢乃会長、加奈子さん。おはようございます」「おはよう、桐島さん。……あ、そのスーツ……」 カーポートで待ってくれていた貢に挨拶を返したわたしは、彼が真新しいネイビーのスーツに身を包んでいることに気がついた。「ああ、これですか。絢乃さんがプレゼントして下さったネクタイに合わせて新調したんですよ。どうです、似合いますか?」 彼は嬉しそうに、ストライプ柄の赤いネクタイに手をやった。「……うん、すごくカッコいいよ。でも、このためにわざわざ新しいスーツまで買うとは思ってなかったから、ちょっとビックリしちゃって。それ高かったんじゃない?」「いえ、量産品なのでそんなにかかりませんでしたよ。ですからご心配なく」「それならいいんだけど。桐島くん、その時の領収書かレシートがあったら、その分絢乃に清算してもらえるわよ」「えっ、そうなんですか?」 突如会話に割って入った母のアドバイスに、彼は目を丸くした。そして、わたし自身も、そんな仕組みがあったと知ったのはその前日のことだった。「そうらしいよ。わたしも昨日まで知らなかったんだけど。あと送迎にかかったガソリン代も、レシートがあったらちゃんと清算するから」「しかも経理部を通さずに、絢乃個人がね。これ、会長秘書だけの特権なのよ。衣服代とか交通費は会長から直接清算されるシステムなの。夫が始めたことなのよ」「へぇ……、それは助かります。会長秘書って仕事量も多そうですけど、それに見合ったメリットもあるわけですね」 彼はこの時ほど、「会長秘書になってよかった」と思ったことはなかっただろう。激務に追われる分月給も他の部署より高く、好待遇なのだから。そうでなければ、好きこのんで選ぶ職種ではないと思う。貢はどうだか知らないけれど。「そう。だからこれから一緒に頑張ろうね!」「はいっ! では、車内へどうぞ。ここでは寒いですから」 後部座席のドアを開けてくれた彼にお礼を言い、わたしたち親子は暖房の効いた車内のシートに腰を下ろしたのだった。
――クルマをスタートさせる前に、わたしと母は貢からネックストラップ付きのIDカードを手渡された。 これは彼も持っている社員証とほぼ同じもので、それぞれ違う十二ケタのナンバーとカタカナ表記の名前が刻字されている。彼のものと違う点は、顔写真と部署名が入っていないことくらいだろうか。「これからお二人は、このIDを入構ゲートに認証して頂くことになります。紛失されると再発行の手続きが面倒なので、くれぐれも失くされないようにお願いします」「分かりました。失くさないように気をつけるね」 手続きが面倒、という部分に彼の本音が滲んでいる気がして、わたしは苦笑いしながら答えた。「――ところで絢乃会長。そのお召し物は……、通われている学校の制服……ですよね」「ん? そうだよ」 視線を落としてスカートの裾に入った赤い一本のラインを見つめていると、彼にそんなことを訊ねられた。彼はそれまでにも何度かわたしの制服姿を見ていたはずだけれど、この日は状況が違うので、彼が疑問に思ったのは無理もなかっただろう。「……それが、あなたの並々ならぬ覚悟の表れということですね。どんな批判も甘んじて受け止める、と」「うん。理解してもらえて嬉しいよ。もしかしたら、貴方には反対されるんじゃないかって心配だったから。でもこれがわたしの信念なの」「まぁ、いくら反対したところで無駄なんだけどね。この子、あの人に似て頑固だから」 母は半分諦めたように肩をすくめた。「頑固」という言い方はちょっと不本意だったけれど、一本筋がとおっているという意味ではまぁ違わないかな。「僕も正直、心配ではあるんですが……。ボスがお決めになったことに、秘書が異議を唱えることはできませんから。できる限り応援はしたいと思っています」「ありがとう、桐島さん!」「では、そろそろ参りましょうね」 ――そうして、シルバーのレクサスは丸ノ内へ向けて走り出した。 * * * *「――とりあえず、今日の会見用に簡単なスピーチ原稿を用意しておきました。会社へ着きましたら、会見の前に確認しておいて頂けますか?」 彼は秘書らしい口調で(「秘書らしい口調」ってどんなものなのか、わたしにもよく分かっていないのだけど)、わたしに言った。「分かった。ホントに作っといてくれたの? ありがとう! でも最初からそんなにマメすぎると後からスト
「貴方は出会ってから、わたしに色んなことを教えてくれたよね。パパの余命を前向きに捉えることとか、悲しい時には思いっきり泣いていいんだってこと、緊張した時のおまじない、それから」「えっ、そんなにありましたっけ?」 彼はここで驚いたけれど、わたしがいちばん伝えたい大事なことはこの先だ。「うん。……それから、恋をした時の喜びとか苦しさも、わたしは貴方から教えてもらったの。だから、この先もずっと貴方に恋をし続けていくよ」「はい。僕も同じ気持ちです。あなたに一生ついて行きます」「だから、それって花嫁のセリフだってば」 わたしはまた笑った。「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」 控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」「うん、分かった。また後でね」 控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。 父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」「聡一(そういち)伯父さま……」 それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」 伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」 慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。 その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母
彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」 わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁(とつ)ぐようなものなので」「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」 何も古くからのしきたりに囚(とら)われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」 彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」 こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」 思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」「……まぁ、確かにそうですよね」 貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日
――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか? 真弥さんはあの日撮影した映像を、自分のアカウントでもXにアップしていて、その投稿は見る間に拡散したらしい。〈彼氏登場! いきなりハイキックとかカッコよすぎww〉〈彼氏、ヒーローすぎてヤバい〉 などなど、称賛のコメントと共に思いっきりバズっていた。 去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。 誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。 その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。 三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。 四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。 そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ! 顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞(しおり)さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。 そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。 本日、六月吉日。愛する人と二人で選
「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」「はい。喜んでお受けします!」 彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。エンゲージリングはまだなかったけれど、気持ちのうえではもう、二人の結婚の意思は確固たるものになっていた。 思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。「貢、……愛してる」「僕も愛してます、絢乃さん」 わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」 帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」「……なるほど」「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」 卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
「――改めて、貴方には心配をおかけしました」 わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」 彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――。まあ、結局は貴方に助けられたわけだけど」「イヤです」「…………は?」 彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」 むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。「でも、今日ほどわたしは貴方に守られてるんだなって思ったことはなかったかも。ホントにありがと」 わたしはいつも、自分が彼を守っているんだと思っていた。でも、時々こうやって自分を顧(かえり)みずに無茶なことをしでかすわたしを助けてくれているのは貢だった。それは秘書としても、彼氏としても。「わたし、いつもこうやって貴方のことを助けてるつもりでも、結局のところは貴方に助けられてるんだね」 父の病気が分かってショックを受けた時、父が亡くなった時、親族から心ない罵声を浴びせられた時。それから会長に就任した時もそうだった。彼はいつもさりげなく、わたしの心の支えとなってくれていたのだ。彼の優しくて温かい言葉に、わたしはどれだけ救われてきたか分からない。「今ごろ気づかれたんですか? 僕の大切さが」「……うん、ごめん。でもありがと」「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」 傍から見れば
――作戦は無事成功したものの、わたしは何だかワケが分からなかった。わたしもまたドッキリにかけられたような気持ち、というのか……。「……どうして貢がここに? 打ち合わせでは、あの場で登場するのは内田さんだったはずじゃ」「ああ、内田さんから連絡を頂いたんです。今日、絢乃さんが危ない目に遭うかもしれないから、新宿駅前に来てほしい、って」「相手が激昂してる時に、見ず知らずの男が現れたら事態が余計に悪化するかもしれないと思ってな。ここは格闘技を習得した彼氏に花を持たせてやった方がいいかな、って」「内田さん、そういうことは事前に教えておいてくれないと。わたしをドッキリにかけてどうするんですか!」 そういう問題じゃない気もしたけれど、わたしはとにかく一言抗議しないと気が済まなかった。「悪い悪い。でも、桐島さんが間に合ったんだからよかったじゃん」「そうですよ! 僕が間に合ったからよかったですけど、下手したら絢乃さん、本当に危ないところだったんですからね!?」 彼が怒っているのは、わたしのことを本気で心配してくれていたからだ。だからわたしは叱られているのに嬉しかったし、自分の無謀な行動を猛省した。「……ごめんなさい」「でも、無事でよかった……。本当によかった」 彼は深いため息をつくと、ここが公衆の面前だということもお構いなしにわたしをギュッと抱きしめた。「ちょっ……、貢……?」 彼はわたしを抱きしめたまま震えていた。泣いてはいないようだったけれど、それだけでわたしへの心配がどれくらいのものだったかが伝わってきた。 わたしは彼の背中に手を回し、そっと背中をさすった。父の葬儀の日、泣けなかったわたしに彼がそうしてくれたように。「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。もっと他に方法はあったはずなのにね。わたし、これくらいの方法しか思いつかなくて」 路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」「そう……だね」 これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のレクサスへと移動することにした。「じゃあ、あたしたちもこれで撤収しまーす♪ あとはお二人でどうぞ♪」「絢乃さん、オレたちこれで五十万円分の働きはしたよな?」
何が起きたのか分からずパニックになっていたわたしを庇うように立ちはだかり、小坂さんにハイキックを一発お見舞いした。「ハイキック、初めて当たった……」 「…………!? な……っ」 一瞬で吹っ飛ばされた小坂さんは、この状況が吞み込めないらしかった。 わたしも呆然となっている場合じゃなかったと気を取り直し、強気な顔に戻った。「真弥さん、今の撮れた?」「はいは~い♪ もうバッチリ」 わたしが目配せすると、建物の陰からスマホを構えた真弥さんと、その後ろに控えていた内田さんが姿を現した。「アンタの裏アカ、あたしが乗っ取っちゃいました☆ 今ねぇ、この様子の一部始終が全国のアンタのファンに垂れ流されてんの。これでアンタ、俳優としても終わったねぇ。はい、ご愁傷さま」「小坂さん、貴方はこれまでにどれだけの女性を弄んで傷つけてきたんですか。女性だけじゃない。わたしの大切な人まで晒しものにした! 貴方、人の気持ちを何だと思ってるんですか! わたし、貴方のことを絶対に許しませんから!」「あんた、どうせ逆玉狙って絢乃さんとお近づきになりたかっただけでしょ? もうバレバレ。甘いんだよ、その考えが」 せせら笑うようにそう言って、真弥さんが腰を抜かしている小坂さんを見下ろした。「わたしは正式に、貴方を名誉毀(き)損(そん)で訴えます。顧問弁護士にはもう、訴訟を起こす準備を整えてもらってるので。ちなみに貴方、事務所をクビになってて後ろ盾はなくなったんですよね? というわけで、訴える相手は貴方個人です。覚悟しておいて」 わたしは次の一言で、彼に完全にトドメを刺した。「この件で、貴方は完全に社会から抹殺されるでしょうね。ご愁傷さま。女をなめるのもいい加減にして!」 この後パトカーが到着し、小坂さんは警察へ連行されていった。前もって内田さんが通報していたのだ。 こうしてイケメン俳優への反撃作戦は幕を下ろしたのだった。
「わたしの親友が貴方のファンなんです。五月に豊洲で主演映画の舞台挨拶なさってたでしょう? 彼女、部活があったから行けなくて残念~って言ってました」 これも真赤なウソっぱちだ。里歩はその頃とっくに彼のファンを辞めていたので、行きたがるわけがないのだ。「へぇ、そうなんだ? 嬉しいなぁ」「豊洲っていえば、ちょうどあの日、わたしもあのショッピングモールにいたんですよ。彼氏と二人で。偶然ですねー」 わたしは彼が気をよくした手ごたえを得ながら、ちょっと強気にカマをかけてみた。「へ、へぇー……。すごい偶然だねぇ。っていうか君、彼氏いるんだ? もしかして、撮影の時に一緒にいたあの男?」 彼は平然を装っていたけれど、明らかに動揺していた。わたしはこんな言葉使わないけれど、里歩や真弥さんなら「ざまぁ」と言うところだろう。「ええ。八歳年上の二十六歳で、わたしの秘書をしてくれてます。お金持ちの御曹司っていうわけじゃないですけど、すごく優しくて頼りになるステキな人です。実はわたしたち、結婚も考えてて。でも彼は決して逆玉狙いなんかじゃなくて、わたしのことを本気で大事に想ってくれてる人なんですよ。わたしも彼のこと、すごく大切に想ってます」「へぇ…………。じゃあ、なんで君は今日、俺を誘ってくれたの? そんな挑発的なカッコして、コロンの匂いまでさせて。……もしかして、俺を誘惑しようとしてる? 彼氏から俺に乗りかえるつもりとか」 この人、どこまで自分大好きなんだろう? きっと今までも、こうやってどんなことも自分に都合のいいようにしか考えてこなかったんだろう。「まさか」 わたしは鼻で笑い、彼をどん底に突き落とす宣告をした。「貴方が、その大事な彼を貶めるようなことをしたから、反撃しに来たんです。貴方が裏アカまで作って、彼に嫌がらせをしてきたから。わたしが分からないとでも?」「……っ、このアマ……」「ちゃんと調べはついてるんですよ。だからわたし、逆にそのアカウントを利用しようって考えたんです。貴方の本性を、ファンのみなさんにさらけ出すために。こうやって誘い出せば、プレイボーイの貴方のことだから食いついてくれるだろうと思って。でもまさか、こんなにホイホイ誘いに乗ってくるなんて思わなかった!」 ここまで上手く引っかかってくれるなんて思っていなかったので、わたしは笑いが止まらなくな
――わたしと〈U&Hリサーチ〉の二人で決めた作戦は、小坂リョウジさんの裏アカウントにDMを送り、真弥さんがそのアカウントをハッキング。彼をウソの誘い文句でおびき寄せて二人で会っているところを真弥さんに乗っ取った彼の裏アカでライブ配信してもらい、彼が本性を現したところでそのことを彼に暴露するというもの。よくTVのバラエティーでやっているドッキリ企画に近いかもしれない。 万が一のことを考えて、わたしは内田さんと真弥さんと連絡先と名刺を交換した。貢の携帯番号も教え、わたしの身に危険が迫った時には最終手段として彼に知らせてほしい、と内田さんにお願いした。 この作戦については話していないけど、調査については貢にも伝えてあった。調査料金として五十万円を支払ったことには、「そんな大金を払ったんですか!? 絢乃さん、金銭感覚バグってるでしょう絶対!」と呆れられた。わたし自身もそう思うけれど、彼を守るためなら一億円出したっていい。彼の存在は、決してお金には代えられないから。 顧問弁護士である唯ちゃんのお父さまにも、小坂さんを訴える準備をして頂いた。真弥さんにもらった調査内容はその証拠としてお預けした。ただ、正規ではない手段で手に入れた情報なので証拠能力がどうなのかは分からないけれど……。 ――そして、作戦決行の日が来た。 その日は土曜日で、貢には前もって「ちょっと用事があるから」とデートの予定を外してもらった。 内田さんの事務所を訪れてから決行日までの数日間、わたしの様子がおかしかったことは彼も気づいていたかもしれない。もしかしたら彼は、わたしの浮気を疑っていたかもしれないけれど、その心配なら皆無だ。内田さんには真弥さんという可愛い恋人がいるわけだし、わたしには貢しかいないのだ。 SNSでの誹謗中傷は、もうこのネタが飽きられていたのかパッタリ止んだ。その代わり、真弥さんが調べてくれた小坂さんのある情報が、Xで拡散されていった。彼はお付き合いしていた女性と破局するたびに、リベンジポルノを仕掛けていたらしいのだ。――これもまた、三人で練った作戦の一部だった。 普段よりちょっと露出度高めの服装をして、わたしは新宿駅前でターゲットを待ち構えた。少し離れた場所では、自撮りするフリをしてアウトカメラでスマホを構えた真弥さんと内田さんも待機していた。「――CM撮影の時以来かな